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オタクがオタクのままで結婚するということ

ちょっと時間が経ってしまいましたが、結婚しました。結婚してしまいました。正直一生結婚しないと思っていましたし、そもそも結婚できると思っていませんでした。

ちょっと長い前置き

見栄を張って言うわけではないのですが、女性と全く縁の無い人生というわけではなかったと思います。ただ、女性と婚姻関係を結ぶような深い仲になることは一生無いのだろうな、結婚したいと思えるような女性に出会うことは無いのだろうな、という絶望に近い思いが強く心に刻まれていたのもまた事実です。

いつからそのようなある種の呪いにかかってしまったのか。今から考えると本当に子供染みていてくだらないことなのですが、小学生の頃、自分が好きになった女の子、自分のことを好きになってくれた女の子が親の仕事の都合等で次々に転校してしまったという出来事が数年間続いたことがあったんですね。
別に転校生の多い学校にいたわけではないんです。なのに何故か自分の周囲から女の子がいなくなってしまう。小学生の恋愛なんておままごとレベルなのですが、それでも、あれ、僕は何かの呪いにでもかかってしまったのかな、女の子に何か呪われるような酷いことをやってしまったのかな、と子供ながらに思い悩んだ記憶が今でも鮮明に蘇ります。その後、中学、高校、大学、社会人と様々な段階を通過する中でも、このような呪いにも似た疑念は心から消えることはありませんでした。むしろ様々な経験を通じてその疑念は強まったといえるかもしれません。

しかし、このような疑念はただの後付けの思い込みに過ぎず、わたし自身があまり他人と関わることを好まなかったことが根底にはあったのだと、今では思っています。特に思春期前後から徐々に他人と距離を置くようになり、そのままズルズルと大人と呼ばれる年齢になってしまいました。まあ単純にひとりが好きだったというのもあったんですけどね。
鶏が先か、卵が先かはよくわかりませんが、ひとついえることは、他人と距離を置く人間に素敵な出会いが舞い込むことなどありません。全く無いとはいいませんが、確率が下がるのは至極当然のことです。結局のところ、自分自身が他人を遠ざけることで、呪いという思い込みを強めていった訳ですね。本当に愚かなことです。

ただ、その一方で、真っ当な人生を歩みたいという思いもありましたので、(距離は置いていましたが)普通に友人もいましたし、サークルやアルバイトもしていました。なんとか就職もできました。ちょくちょく恋をしたりそれを失ったりもしていました。誘われれば重い腰をあげて合コンにも出向きましたし、お酒の席では知人友人に対して素敵な女性を紹介するよう冗談交じりでお願いなどもしていました。特に社会人になってからは、妖怪人間からただの人間になるべく、意識的に人と関わるようにはしていたと思います。

そのような中、わたしに彼女がいないことを不憫に思った同僚が気を利かせて開催してくれた合コンで出会ったのが今の妻でした。なんて現代的!

妻の第一印象は「結婚したら良い奥さんになるだろうな」程度のもので、ビビビッという神の啓示や本能の疼きみたいなものは一切無かったと思います。加えて、当時の妻には気になる男性が他にいたため、合コンへは女性側の幹事として出席しただけだったということもあり(いい迷惑)、むしろわたしの視界の外に妻がいるような状況でした。

そのため、当初はその合コンに同席していた別の女性とご飯を食べに行っていたりしたのですが、その女性がまた曲者で、複数名の彼氏を抱えながらわたしと会っていたんですね(黒髪ロングの清楚系女性には注意ですよ、男性諸君!)。彼氏がいることは一回目の食事会中の会話で直ぐに気づきましたが、男ひとりではなかなか美味しいレストランにも行けやしないし、会話は楽しいので少し変わったお友だちとしてならまあいいかと思い、その女性とは食事だけ細々と続けていました。
そこへ再び嵐のように登場したのが現在の妻だったわけです。どうやらわたしがその女性に騙されていると勘違いしたらしく、大慌てで連絡を取ってきてくれたんですね。まあ、妻の杞憂というか早とちりだったわけですが、これが契機で付き合うようになり、いつの間にやら結婚するに至ってしまいました。

特にこれといった結婚の決め手のようなものは無かったと思います。ただ、付き合って1ヶ月ぐらいで「この子と結婚すれば毎日楽しいだろうな、飽きないだろうな」とは思っていました。
というのも、よくよく妻の話を聞くと、それまで妻の歩んできた人生が随分普通とはかけ離れたものだったんですね。専門学校を出て資格を取り専門職に就いたと思いきや、数年で辞めて沖縄の離島へ移住。そこでアルバイトをしたかと思えば一年ちょっとで今度はスペインへ巡礼の旅に出かけてそのまま現地に居ついたり、そこで恋したドイツ人を追いかけてドイツに突撃したり。その後日本に帰ってきたら別の資格を取ってまた新たな専門職に就いたりと。ちなみにスペインに行く直前まで、スペインの首都はアルゼンチンだと思ってたらしいです。意味がわからない。
とにかく頭で考える前に行動してしまうようで、強引なまでの実行力と行動力を身にまとったその姿はまさに稲妻のようでした。妻だけに。もしかしたら、頭で考えてばかりでなかなか行動に移せない自分とは対照的な妻の姿に、わたし自身が救われていたのかもしれません。いや、たぶんそれが決め手だったのでしょう。おかげで結婚してから数ヶ月経った今でも日々緊張感のある飽きの来ない結婚生活を送ることができています。稀に疲れることもありますが・・・

ありのままの姿見せるのよ

さて、無駄に長いどうでもいい前置きが終わりましたので本題に入りますがわたしはオタクです。紛う方無きオタクです。あまりに多義的な「オタク」という言葉が好きではないので自分でそう名乗ることはしませんが、我が家に整然と並ぶ(聳え立つ)オモチャたちを一目見れば、一般の方はわたしのことをオタクと認識することでしょう。うちの妻も周囲へはわたしのことをオタクと喧伝しています(やめてくれ)。初めて妻の実家を訪問した際もオタクとして出迎えられました(死にたくなりました)。

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参考写真1。立ち並ぶ玩具たち。


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参考写真2。眠る玩具たち。

別にわたしは女性に縁がなかったから玩具を集めていたわけではなく、純粋にその形、その色使い、その遊び心と何より作り手の創造性に魅かれ、気に入ったものだけを購入していたら、いつの間にやら上記写真のような事態に陥っていただけです。だからオタクとか言われるのは甚だ心外なのです。特にポリシーなど無いのですから。でも、やはり自分の好きなことを否定されるのはとても辛いことです。自分の大事なコレクションがいつの間にか妻に捨てられていたなんていう投稿を読むと胸が張り裂けそうになります。
その点、わたしの妻は玩具に対して非常に寛容で、特に玩具自体に文句を言われることはありません(ただしエッチなフィギュアはNGだそうです、持っていませんけど)。新居という名のボロ家に玩具の棚を設けることに反対されることもありませんでした。

ただ、やはり先立つものについては独身時代と同様に自由というわけにはいきませんでした。わたしのほうがたくさん貯金していた事実などは妻には関係ないようです。ということで、夢にも思っていなかった(そもそも結婚すると思っていませんでしたし)「おこづかい制」という名の封建制度が導入され現在に至っています。当然制度上の王様は妻です。わたしは妻に仕える家臣として、毎月給料という名の上納金を渡すことでおこづかいという僅かな自由を得ることが出来るのです。なんて日だ!(バイきんぐ)。

しかし、しかしです。昨今の玩具は高いのです。ソフビ人形ひとつで数千円、下手したら一万円を越えるなんてのはZARAです。ホットトイズのフィギュアなんて一体3万円以上する場合もあります。当然おこづかいの範疇に支出が収まることなどなく、毎月妻に怒られながら辛い新婚生活を送っております。だからこそ各玩具メーカーさんにはここで強く言いたい。あまり魅力的な玩具をたくさん作らないでくれと。わたしの心を刺激するのは程ほどにしてくれと。魅力的な玩具がたくさんリリースされると、独身時代は嬉しい悲鳴をあげていましたが、昨今は(妻の)怒りの入り混じった悲鳴が聞こえるようになりました。つらいです。

きっと子供などができた暁には、つらいつらいと言いながらこの記事を書いている今がいかに恵まれていたのかを実感することになるでしょう。だからこそ、今から妻の意識に刷り込む必要があるのです。わたしはマグロなのだと。玩具という名の大海を泳ぎ続けなければ死んでしまう、か弱いマグロなのだと。

これから結婚する人たちへ

結婚が素晴らしいものかどうかは、現在のわたしが答えるべき問いでは無いのかも知れません。恐らくそれは自分や妻が死ぬとき(または離婚したとき)に初めて分かることなのでしょう。ただ、やはり自分のことを理解してくれる人、互いに敬える人が傍にいてくれるというのは非常に心強く心地よいものだということは間違いありません。
また、結婚生活は修行だという人が稀にいらっしゃいますが、その通りです。時折訪れる妻の理不尽と気まぐれに耐えることで忍耐力を身につけ、空疎な会話をさらりとこなすことでコミュニケーション能力を高め、異なる生活様式と慣習から生じる軋轢を埋めるために日々折衝を繰り返すことで交渉力が増します。きっと1年も経過すればひとまわり大きな人間になることが出来るでしょう。その頃には妻も主に肉体的にひとまわり大きくなっているかもしれませんが。

しかしながら、やはり無理にするものでもないというのもまた本音です。毎日一緒に他人と過ごすということは、それだけで大変なことです。人間とはお互い分かり合えない生き物ですが、それでも分かり合いたいという強い気持ちを持ち続けるということは、円満な結婚生活を続ける上での必須条件のように思えます。また、結婚とは相手の人生を背負うことと同義です。配偶者が寝たきりになっても、不幸の連続で立ち直れなくなっても、最後まで付き添う覚悟が必要だと個人的には考えています。
だからこそ、そのような強い気持ちを持つことができ、且つ自分にも同じ気持ちを抱いてくれる相手と出会わない限りは、無理に結婚をする必要はないと個人的には思います。所詮結婚なんてものは財産権と親権上必要なただの制度ですし。


正直に言いまして、未だにわたし自身も結婚したという実感を持つことができておりません。稀にですが、家の中に妻という他人が当たり前のように闊歩しているという事実に驚いたりしています。でもね、やはり自分の家で、腹の底から信頼し合える人と毎日お酒を酌み交わせるというのはいいものですよ。もし機会がありましたら試してみるのも一興かもしれません。


ということで長くなりましたがブログ更新が滞っている言い訳でした。




おまけ
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ローマの遺跡にいたうみねこ(かもめかも)。

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肉眼を通してでもCGに見えたフィレンツェのドゥオーモ。

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宿泊したカルドナの古城(パラドール)。

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カルドナの古城から。

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モンセラットの教会。パワーがもらえるらしい。

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サグラダファミリアの天井。

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カサミラにて。