東日本大震災(東北地方太平洋沖地震) 諸報告

まず、東日本大震災で被害にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様へ深くお悔やみを申し上げます。


私事ではありますが、タイミングの悪いことに地震当日は福島へ出張に行っており、現地にて被災をしておりました。個人的な記録も兼ねて経過報告をしてみようかと思います。


【概要】
3月11日(金):福島県某所にて東北大震災に遭遇。震度6程度。
3月12日(土):交通網が完全に遮断されたため現地で待機。
3月13日(日):朝から東京方面へ車で出発。夜頃東京着。



【詳細】
■1日目 3月11日(金)
朝から仕事の都合で福島某所へ出張。会社施設内にて東北大震災に遭遇。 揺れ自体は突発的なものではなく、徐々に強くなっていった印象。そのため、発生当初は机の下にもぐることもありませんでしたが、揺れが強くなってきたため危険を感じ、身を守った次第。建物内の一部壁や天井が崩落、消火器等のある程度重量のある置物の多くも倒れるような酷い状況でした。地震の収束後、直ちに屋外に避難しましたが、その後も断続的にかなり大きな余震が続き、建物の外壁の崩落等も目撃。あちらこちらから悲鳴も聞こえるような凄まじい状況だったように思えます。
周りにいる人間の安全を確認した後、まず我々のすべきことは自分たちの居場所を確保することでした。何せ当初は日帰り出張の予定でしたから、宿もありません。そのため、直ぐに車を借りて宿確保に向かった矢先、目の前に見えたのが決壊ギリギリまで増水し、さらに逆流している川。ポロロッカかと思った。もちろんポロロッカと見間違えたのは一時で、直ぐに津波だと悟った我々は急遽会社施設に引き返し、比較的安全だと思われる従業員用施設を待機場所とすることに決めました。正直津波を見た瞬間は本当に死ぬかと思った。
次に問題になったのが水と食事。電気は何とか生きていましたが(ガスは危険なので論外)、水道管が痛んだのか水が出ない。加えて当然ながら食べるものも無い。ということで危険な川を避け買出しに向かったわけですが、近くのスーパーは軒並み閉鎖。しかしここは我らがコンビニ大国ジャパン。なんとセブンイレブンだけは営業しておりました。もうセブンイレブン大好き。福澤諭吉先生を握り締め、飲み物やら食べ物やらお酒やらおでんやら携帯の充電器やらを買い込んだのは言うまでもありません。ちなみに数時間後、このセブンイレブンも在庫切れにより一旦閉店しましたが、翌日にはどこからか在庫を補充し再び開店していました。災害時のコンビニエンスストアの重要性は以前から聞いてはいましたが、まさかここまで有用だとは。
ということでコンビニで仕入れた食材他を消化しつつ、無事次の日を迎えることができました。



■2日目 3月12日(土)
もう一刻も早く東京に帰りたい、そんな気持ちで一つにまとまっていた我々は前日からワンセグ携帯と会社関係者を頼りに情報を集めていたのですが、残念ながら高速道路も電車も寸断。そして下道もこの地震ではどうなっているか分からないということで、帰る手段も無く実質孤立した形に。仕方なくこの日も食料を探しに街に繰り出しました。改めて見回すとそこにはテレビ程ではないにせよ酷い光景が。倒壊している家、崩落している壁。全く動いていない信号。そして大行列のコンビニとスーパー。結局不用意に動かないほうが良いという判断の下、待機場所にて情報収集に努めることに専念することに。
この日一番衝撃を受けたのが福島第一原発の状況。何か夕方頃には一号機の建屋が骨だけになっているし。さらに夜に入ってからは避難地域が10kmから20kmに拡大しているし。一応はある程度離れた場所にはいましたが、やはり不安で仕方なかったのが正直なところです。最悪の自体に備え、この日は夜中も定期的に起きて情報を確認することに。まぁ嫌でも緊急地震速報連発で目が覚めるんですけど。



■3日目 3月13日(日)
この日は朝から朗報。下道であれば自動車の通行も問題無しとのこと。ということで午前中から東京方面へ向かうことに。ちなみにここまで一切お風呂には入れていないため、若干身体から香ばしい臭いがしていたのはご愛嬌。
東京方面へ向かうには、どうしても海岸線沿いを通らなくてはならなかったため、気持ちだけは戦場に向かう新米兵士に。そして実際そこで目の当たりにしたのは、本当に戦場さながらの光景でした。我々がもともといた場所とは比べ物にならないほど多くの家屋が倒壊、あちらこちらにプロパンガスのボンベやら木材やらが散乱している状態。さらに自動車もあんなところやこんなところに突き刺さっている有様。前日まではバッテリーを気にして難しかったのですが、この日は車中からいくつか写真を撮ったので掲載してみる。




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倒壊する家




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つぶされる車




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オープンカフェ状態の自動車ディーラー(前面のガラス壁が全て取り払われています)


当然信号機も全く機能しておらず、道中は非常に混雑していたため、結局東京近郊まで10時間程かけ、何とか帰宅できました。やれやれ。




【雑感】
・頼れるのはスーパーよりコンビニ。
・携帯電話は何だかんだと非常に重要。バッテリー切れは死活問題。被災した際、予備電源や充電器を持っていない場合は最優先で確保すべき。
・複数のキャリアの携帯を持っていると尚良し。私がいた地域では1日目はドコモが活躍、ソフトバンク全滅、逆に2日目はソフトバンクが大活躍、ドコモ全滅といった感じでした。
スマートフォン最高。固定電話回線が死んでいる場合があるので、その際はスマートフォンが貴重なツールになることもあり。今回はiPhoneが獅子奮迅の活躍を見せました。
・とにかく現金。何でもいいから現金。停電していなければどこかでお金は下ろせる。停電している地域でも現金があれば昔ながらのやり方で物が買える。
・ガスは論外という前提で、電気水道両方が駄目でも食べられるもの、電気が駄目でも食べられるもの、水道が駄目でもたべられるもの、と状況に応じて食べ物を確保すると、被災時でも比較的良い食事をとることが可能。




自宅に戻ってからも色々と壊れていたりと大変だったのですが、その辺りはまた別の機会に。予想死亡者数が想像以上に多いこと、加えて福島原発近辺に住んでいる方の気持ちを思うと胸が痛みます。正直参ってしまう。どうか少しでも皆様の不幸が減りますように。