カオスマン1号というマスターピースについて
マスターピース。名作、傑作、絶品、代表作、同義的でありながら複数の意味を包含する言葉。
まるでパズルのピースがはまるかのように、葛飾区青砥の地に真頭玩具を構えるリアルヘッドさんのカオスマン1号にはこの言葉がピッタリと適合する。
ソフビ玩具にありがちな足(股関節)の可動(嵌着)を敢えて排することで生まれる、安定した、どっしりとした、そして威風堂々とした佇まい。玩具でありながらスタチューのような趣き。
ヒーローのようでありながら、どこか異形の面影を残す長い腕。下腕部が別パーツになっていることで生み出される多彩なアタッチメントが無限のバリエーションと物語を産み出す。
全身に刻まれたモールドは生物の躍動ようであり、歴戦の闘いの中で刻まれた傷のようであり、刻印のようであり、多彩なカラーリング・表現を受け止めるキャンバスのようでもあり。カオス(混沌)でありながら摂理や調和を感じさせ、一切の隙のない黄金律を生み出している。
マフラー、ブーツ、ベルト、背中の羽のような意匠。子供の頃に抱いたヒーローへの憧憬が蘇り、心の奥底に埋もれた童心が顕になる。
筆によって丁寧に描かれた頭部ビーンズクランプの美しい模様は、個体ごとに異なるというコンセプト。カオス(混沌)の象徴であり、感性と創造力、そして技術と熱意の賜物でもある。
今回のカオスマン1号は蓄光成形、その上から異なる表現方法でブラック、ブルーの拭き取り塗装等が施されている。ビーンズクランプと同様、感性と創造力、技術と熱意のすべてが注ぎ込まれており、量産品の域を優に超えながらも量産されているという眼前の現実から、作り手の矜持を感じざるを得ない。
初登場から約14年、カオスマン1号だけでも数多のバリエーションが生み出されていながら、未だ新たな1号が生み出される度に心躍るという事実こそが、私にとってカオスマン1号がマスターピースであると確信する証左となっている。
全ての人にとってのマスターピースなど存在しないのかもしれない。ただ間違いなく私にとってカオスマン1号は人生のマスターピースである、この事実だけはこれからも揺るがないだろう。
2007年秋に発刊された怪Zine第5号のインタビューで森代表は「自分が存在しなければこの世に出てこなかった物を生み出せるって凄いことでしょ?」と語っていた。
2023年の今となっては、その生み出された物が日本だけでなく世界中の多くの人々の心を打ち惹きつけている事実と、そこに至るまでの想像を絶するような困難や20年にもわたって続けられた魂を削る取り組みを想像すると、自宅に並んだリアルヘッド製品一体一体に敬意を抱かざるを得ない、そんなことを日々考えている。