ミロクトイ 仏像戦隊サレンダーズという革新について

仏像とは文字どおり仏の偶像である。本来は信仰を広めるため、あるいは深めるために日常的に崇拝する対象として造られたものであろう。  

しかし、長い歴史を振り返ると、仏像には宗教的な側面とは別の、いくつかの目的や意味が込められている場合が多い。例えば為政者の権力の象徴として。芸術家の表現手段として。はたまた造り手の技術力を誇示するものもして。
 
では今わたしの目の前にあるこの仏像の本懐は一体何なのだろう。そのような疑問を投げかけてくるのがこのミロクトイの『仏像戦隊サレンダーズ』だ。
 

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 仏像の素材には木材が選ばれることが多い。何故なら素材として入手しやすく、比較的加工がしやすいからだ。木材は軟らかく一定の強度があり耐久性も十分であり、磨くなどして質感も自在に変えられる。
 
翻ってこのサレンダーズのマテリアルはソフトビニルである。
 

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第一弾のシャカッチは名前の通り釈迦をモチーフにしているのだろう。その姿は、どこか柔らかく温かい。そしてとても「良い顔」をしている。ソフトビニルという独特の素材とミロクトイ金子氏の高い造形力・表現力が融合した唯一無二の作品と言えるだろう。
 
 

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 第二弾としてリリースされたカルガルーはその姿から察するに、天竜八部衆迦楼羅天だと思われる。インドの神話に登場する想像上の鳥ガルーダが仏教に帰依した存在だけに、その姿は人間的でありながら鳥の意匠を残している。
 
 
そしてこのカルガルーの本懐は後ろ姿にあるといっても過言ではない。

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より「鳥」に近いもうひとつの姿が現れるのである。舌と眼を突き出し、翼と鳥足を有するその姿はまさに化鳥。迦楼羅天が変身した姿なのか、はたまた迦楼羅天になる以前の本来のガルーダとしての姿なのか。

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その背景は未だ明かされていないが、遊び心とアイデアが詰まった素晴らしいギミックであることは確かだ。表裏で全く異なるデザインを破綻なくまとめあげ、「変身」を再現したその姿は、シャカッチとは違った意味で唯一無二の作品だといえるのではないだろうか。
 
 
 

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ひとつ忘れてはいけないのが、この2体の原型は木材を削ることで作られているということである。そう、製造過程においては、数多ある名高い仏像となんら変わらない。異なるのは、大量生産のために木製の原型がソフトビニルに置換されたというその一点だけだ。
これは個人的な考えだが、昔の仏師たちも技術と能力さえあれば、自身の作品である仏像を世間に広く頒布したかったのではないだろうか。宗教的な側面を踏まえれば、決して不自然な話ではないと思っている。
 

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仏像戦隊サレンダーズについては、原型として木材を利用することと、ソフトビニルに置換することのどちらが手段でどちらが目的かは私にはわからない。
ただ、ソフトビニルという素材とデフォルメという表現方法、さらにはミロクトイ金子氏の創造力が合わさることで、既存の枠組みを超えた、鑑真和尚も真っ青の新たな仏像が誕生した、それは確かな気がする。