もちぐまんストラップ 及び 四畳半神話大系について
もちぐまストラップが届いた。五匹揃ってもちぐまん!単品だとただのもちぐまなのだが、お金が無いのでさすがに五匹は無理だった。明石さんのようにはいかない。
http://www.parco-city.com/mall/commodity_param/shc/99par084/ctc/yojouhan/cmc/1006-yjh-051/backURL/http%28++www.parco-city.com+mall+main.jsp
なに、やわらかもちぐまストラップだと!何故先にこれを出さないのか。
『四畳半神話大系』は、フジテレビノイタミナ枠で放映されたアニメ作品である。原作は森見登美彦による同タイトルの小説。漫画やライトノベルや童話ではなく、現代小説がアニメの原作となるケースは稀だ。しかし稀なのはそれだけではない。キャラクターデザインにイラストレーターの中村佑介を、脚本には劇団ヨーロッパ企画の上田誠を起用。さらにオープニングテーマはアジアンカンフージェネレーション、エンディングテーマはいしわたり淳治&砂原良徳+やくしまるえつこの楽曲が起用と実に豪華。詰まるところ、アニメというフォーマットを利用しながらも、既存のアニメとは違う別のもの目指して創り上げられた作品なのだ。
ストーリーは実に単純だ。(京都大学)三回生の「私」が、一回生のときに選んだサークルによってその後どのような人生を歩んだか、つまりはサークルの選択によってどのように人生が分岐したかを描いた、所謂パラレルワールドを主軸とした物語である。
各話とも登場人物、結末はほぼ同じである。それが毎週毎週繰り返し放映される。こう書くと実につまらないアニメと思うかもしれない。しかしそこには視聴者を退屈させない仕掛けが存在する。それはアニメの核とも言うべき「動く画」である。湯浅政明監督とマッドハウスが手がけるその画は、独特な色彩を帯びた世界を創り出し、中村佑介による無機質なキャラクターを変幻自在に動すことで、直接視聴者の眼ではなく脳に働きかける。簡単に言うと、見ていて飽きないのだ。
同じような話が延々と繰り返されるわけだが、放送終盤ともなると怒涛の展開を見せる。そして最後には実に素晴らしいカタルシスが待ち受けている。それが何かを語るのは野暮というものだろう。ただ、敢えて小説のほうから、この作品の肯綮とも言うべき言葉を引用しておく。樋口師匠のお言葉である。ありがたく拝聴すべきだ。
「可能性という言葉を無限定に使ってはいけない。我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である」
「我々の大方の苦悩は、あり得べき別の人生を夢想することから始まる。自分の可能性という当てにならないものに望みを託すことが諸悪の根元だ。今ここにある君以外、ほかの何者にもなれない自分を認めなくてはいけない。君が薔薇色の学生生活を満喫できるわけがない。私が保証するからどっしりかまえておれ」
自らの不可能性を悟り、あり得べき別の人生への夢想をやめたとき、現在が本当の意味で輝きを取り戻す。退屈な今が、煩わしい人間関係が、そして憎むべき過去が別の形へと変化する。そう、我々はタイムマシンに乗らなくとも現在を受け入れることで過去を変えることができるのである。
さて、この作品の本当の素晴らしさは上記の内容にあるのではない。以下を見ていただきたい。
そう、ヒロインの明石さんが可愛いのだ。それだけである。もっと可愛いシーンがあっただろう、とポストカードの製作者に突っ込みを入れたい気持ちもあるが、BDを買えばいいだけの話なので四の五の言わない。