GARGAMEL デスラ guts (by Kiyoka Ikeda)

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ガーガメルの事務所移転に伴い開催された『THE THRASH OUT SHOW』。ガーガメルクルーである池田圭郁氏、池田直哉氏、CHANMEN氏によるカスタムペイント(ソフビフィギュア)が展示販売されました。今回紹介するのは池田圭郁氏によりペイントされた内臓入りデスラ。公式名称はgutsで良いのかな?




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外側のボディはクリアとブラッククリアという二色成型。内臓は全塗装のため成型色は不明。たぶん福袋の中身と同じだからブラックなのでしょう。




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頭部インナーパーツは文字通り「みっちり」入っています。ここまでの精度で内臓パーツを作る技術は本当に凄いと思うんですよね。さすがガーガメルさんといいますか。



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眼の虹彩部分は黒で描かれています。だからちょっと見えづらい。ここは赤目がよかったな。



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内臓部分も「みっちり」。内臓好きにはたまらない仕様です。



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背骨がくっきり見えます。



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腕部はブラック(スモーク?)クリア成型にクリアパープル、指先はシルバーとブラックが吹かれています。この辺の立体感の出し方もさすがガーガメルさんといったところでしょうか。




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羽もすけすけ。




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そしてこの羽の部分は可動します。



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尻尾も可動します。




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以上、ガーガメルのデスラgutsでした。ガーガメルさんが持てる技術と情熱を全て注ぎ込んだような素晴らしい製品に仕上がっています。まさに集大成かと。ソフビのインナーパーツってここまで高い精度で仕込めるんですね。正直驚きました。後頭部の突起ひとつひとつの内側まで再現されるとは。普通だったら突起部分はあきらめるところだと思ったんですけどね。ガーガメルさんがこれまで蓄えてきた経験と技術が成せる業なのでしょうか。
池田圭郁氏による塗装センス、技術、精度も一点ものだけあって素晴らしいものがあります。デスラにはデモーニッシュなカラーリングが本当に似合う。生物でありながらどこか無機質な雰囲気になっています。問題はお値段。35000円でございます。一点ものの価格のジャッジって本当に難しいんですけどね。制作の「手間」に重きをおくのか、「貴重性」に重きをおくのか、「芸術性」に重きをおくのかによって、高いか安いかの判断は大きく異なってくると思いますが、いずれにせよわたしのお財布は泣いてます。それでも購入したのは、やっぱりこのデスラ自体を非常に気に入ったからなのですが。
デスラgutsはソフビ好きの方には全力で勧めたい逸品だと思いますので、是非一般販売されることも期待したいです。あまりカラーバリエーションは買わないようにしていますが、他のカラーリングが出たら間違いなく飛びつくと思います。


最後に、ガーガメルさんの事務所移転とオフィシャルショップTHRASH OUT の閉店について。実はわたし自身がオリジナルソフビと出会ったきっかけはガーガメルさんの初期作品「ガーガメス55ブルー」だったりします。そのため、このような楽しい世界に触れるきっかけを与えてくれたという意味でも、ガーガメルさんに対する思い入れは人一倍強いと思っています。だからこそ、今回の事務所移転とショップの閉店は残念でならないです。活動は続けてくれるそうですし、以前からオンライン販売がメインでしたから、ほとんど状況は変わらないといえばそれまでなのですが。
ちょっと気になったのが移転理由。くわしくはこちらを見ていただきたいと思いますが、「福島原発」と「TPP」が挙げられています。個人的な見解としては、現状の東京の放射線量を見る限り、極度に恐れるのは逆説的な意味で宗教と変わりないことだと考えています。ただ、子を持つ親としては万難を排したいという思いがあったのだと思いますので、理解できないわけではありません。また、わたし自身、福島県内で原発の建屋が吹き飛ぶ瞬間に立会い、その当時は生命の危機も感じたことから、危険要素からはなるべく遠くに離れたいという思いも理解できます。
以上を踏まえた上でも引っかかってしまうのは、本当に移転理由を公表すべきだったのかなということ。様々な理由で未だに福島に、その近辺に、そして東京に多くの人々が住んでいる中で、結果的にそこに住まう人々を少しだけ傷つけることになるんじゃないのかなという不安と疑問を頭から拭うことができません。まぁこの辺は説明責任とのバランス取りが難しいとは思うのですが。また、移転先の近くにも依然として原発がある中で、どこまで意味があるのだろうかという素朴な疑問も浮かんだりと。
あとTPPについても言及がありましたが、かなり専門的な知識が必要な内容を現段階でジャッジしちゃうのはどうなのかなと。日本国民できちんとこのテーマについて議論できる人は今どれぐらいいるんですかね。大半がイデオロギーで語っているだけなんじゃないかな。わたし自身はリバタリアン(自由主義者)なので、本来は賛成に回るところなのですが、正直今の段階ではなんともいえない。
最後に、国家は基本的に政府ではなく国民が造っていくものだと考えています。所謂「作為の契機」というやつです。今の世界を生きるうえでとても重要な概念なので、知らない人はぐぐってみましょう。だから子供のためにも、この国の未来のためにも、是非ガーガメルさんが創作面やそれ以外の面でも素敵な活動を続けてくれることを切に願います。これからも応援してますし、素敵なソフビがリリースされることを期待しています。





※以下はガーガメルさんの移転とは一切関係ありません。独立した記事にしちゃうとウンコがいっぱい飛んできそうなので、ついでに書いちゃいます。
【3.11以降の原発に対する様々な声について】
福島原発であれだけ大きな事故がありましたから、原発に対して色々な意見があって良いとは思うんです。ただ、どうしても極端な意見が各種媒体で目について、正直ウンザリしています。twitterとかだと変な意見を垂れ流す人はフォローをはずせばいいんでしょうけど、実際はずしたりしてますけど、避けるにも限度というものがありまして。
肯定派も否定派も度が過ぎれば同類だと思っているんですが、彼らに共通しているのが「時間軸」に対する意識の不足と、日本国外に視線を向けないという意味での視野の狭さや想像力の欠如。原発が必要か、不要かを考える上で、いつまで使用するのか、またはいつ廃止するのかという時間軸をはずすことはできません。今すぐ廃止しろ、逆に未来永劫原子力エネルギーを使うんだと言っている人たちは現実を理解することのできない頭の悪いというよりおかしい人たちなので、そういった意見は傾聴に値しないです。代わりのエネルギーはどうやって用意するんですか?上昇したコストはどうやって補うんですか?経済が今以上に停滞し失業者や自殺者や貧困といった”物理的な”不幸が増加する可能性についてはどうお考えですか?などといった疑問質問が沸いて出てきちゃいます。
また、「日本から原発を無くせ」と声高々に叫んでいる人たちは、海外の原発についてはどう考えているのでしょうか。日本から無くなればそれで良いのでしょうか。それとも世界中から一掃すべきなのでしょうか。稀に反対派の中でドイツを引き合いに出される方がいらっしゃいますが、ドイツは脱原発と言いつつフランスからの原子力に由来した電力供給に依存する体制は変わりません。あんなもの脱原発とは言いませんよ。
世界中から原発を無くしたいという人たちは、発展途上国の電力不足についてどう考えているのでしょうね。土地柄やコスト、資源といった問題から原子力エネルギーに期待する国が多くあるのも現実です。原発を設置することによりその土地に住まう人々へ電力を供給することで、救われる命や解消される不幸が多くあることにきちんと目を向けているのでしょうか。わたしの言っていることを理解できない人たちは、ダライ・ラマの声に耳を傾けてみればいいと思います。西欧諸国に対する点数稼ぎというやっかみを踏まえたうえでも拝聴に値すると思いますよ。
生きるうえで大切なのは健全な懐疑と自分以外に目を向ける視野の広さ、つまりは想像力だと考えています。それらを養うためには知識や経験を蓄えなければいけません。自分への戒めとして、グダグダと書いてしまいました。今年はたくさん本を読むぞと。